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熱田神宮(愛知県名古屋市)概要: 熱田神宮の創建は景行天皇43年(113)、日本武尊が東夷東征の際、三種の神器の1つ草薙剣を携え出兵しその帰途の途中尾張国に滞在し尾張国造乎止与命の娘である宮簀媛命と結婚しました。日本武尊は結婚の証として草薙剣を宮簀媛命に預け伊勢神宮に帰還する途中に伊勢国能褒野で病死してしまいました。宮簀媛命は熱田の地に社殿を造営し御神体として草薙剣を祀ったのが熱田神宮の起源とされ、尾張国造の子孫である尾張氏が祭祀を司る事になりました。以来、歴代朝廷から崇敬庇護され延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社として記載され尾張国三宮とされました。平安時代後期に神職が尾張家から藤原季範に譲られ、季範の娘が源頼朝の母(由良御前)だった事から頼朝が篤く崇敬し、建久元年(1190)、建久5年(1194)、建久6年(1195)に御剣を奉納しています。室町時代に入ると歴代足利将軍が庇護し社殿の造営や修造、社宝の奉納などが行われています。永禄3年(1560)、織田信長が桶狭間の戦いの前に戦勝祈願をしたところ見事勝利したことから、信長が神意に深く感謝し社殿を修築しました。その際築造された土塀は信長塀と呼ばれ、三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と共に日本三大土塀に数えられています。江戸時代初期は幕府、中期以降は歴代尾張藩主が庇護し慶長5年(1600)には徳川家康が社殿を修造、貞享3年(1686)には5代将軍徳川綱吉が西楽所を造営、幕府からは社領700石が安堵されました。古くから神仏混合し、別当として熱田神宮寺が門前にありましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、神宮寺も廃寺となりました。当初は熱田神社と称していましたが明治元年(1868)に社号を熱田神宮に改称、明治4年(1871)に官幣大社に列し、明治22年(1889)に「三種の神器の一つ草薙剣を御神体にしている」との理由から伊勢神宮に準じた神璽勅封・権宮司設置が認められました。
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熱田神宮 |
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