豊田市: 猿投神社

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概要・歴史・観光・見所
猿投神社(豊田市)概要: 景行天皇52年(122)、大碓命(景行天皇の皇子)が猿投山(標高:629m。古代からの霊山で山嶽信仰や巨石信仰が盛んで崇められた。)で毒蛇に噛まれ死去し山頂付近に葬られました(日本書紀では大碓命は景行天皇の命に背き東夷東征を拒否した為、美濃に流されたとされ、古事記では罪により小碓命によって八つ裂きになったたそうです)。仲哀天皇元年(192)の熊襲平定の折、仲哀天皇の勅命により大碓命の御霊を勧請し猿投神社が創建されました。猿投神社の格式は高く日本文徳天皇実録によると仁寿元年(851)に従五位下、日本三代実録によると貞観6年(864)に従五位上、貞観12年(870)に正五位下、元慶元年(877)に従四位下に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社、三河国国内神名帳では「正一位猿投大明神」として記載され古くから三河三之宮として崇敬されました。中世に入ると領主である中条氏から崇敬庇護され中条詮秀は家宝である樫鳥糸威鎧大釉付を寄進しています。又、当初は猿投山を御神体として猿投神が祭神として信仰されてきましたが、室的時代頃に現在の祭神である大碓命が祀られるようになったと推定されています。中条氏が桶狭間の戦い以降衰退すると織田家、織田家が没落すると豊臣秀吉が庇護し、文禄元年(1592)に社領776石を安堵しています。江戸時代に入る徳川将軍家が庇護し、先例と同石で西三河の神社では最高の776石の朱印状を発布しています。古くから神仏習合し別当寺院として白鳳寺が祭祀を司り「猿投大明神」などと呼ばれてきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され明治5年(1872)に県社に列しています。祭神:大碓命。配祀:景行天皇、垂仁天皇。

猿投神社の文化財
 ・ 太刀 銘行安(附:兵庫鎖太刀拵)−平安時代末期−国指定重要文化財
 ・ 黒漆太刀(刀身無銘)−鎌倉時代−国指定重要文化財
 ・ 古文孝経(1帖)−建久6年−国指定重要文化財
 ・ 本朝文粋−鎌倉時代−国指定重要文化財
 ・ 樫鳥糸威鎧大釉付−平安代末期−国指定重要文化財
 ・ 猿投神社漢籍(1括)−鎌倉〜室町時代−国指定重要文化財
 ・ 正一位猿投大明神扁額−鎌倉時代末期−愛知県指定文化財
 ・ 革製竜頭馬面−安土桃山時代−愛知県指定文化財
 ・ 猿投神社国書−鎌倉〜江戸時代−愛知県指定文化財
 ・ 猿投神社文書−鎌倉〜江戸時代−愛知県指定文化財
 ・ 猿投神社御免富興行資料−江戸時代後期−豊田市指定文化財
 ・ 木造千手観音立像−平安時代中期−豊田市指定文化財

猿投神社
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