あま市: 甚目寺

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甚目寺・歴史・観光・見所
甚目寺概要: 甚目寺の創建は推古天皇5年(597)、伊勢の漁師甚目龍磨が網にかかった観音像を祀る為、御堂を建立し安置したのが始まりと伝えられています(敏達14年に釈尊が海中に投げた3尊像の1つとされ後の2像は信州の善光寺:阿弥陀仏と九州太宰府の安楽寺:勢至仏とされます。)。その後、天智天皇が重病になった際、病気平癒の祈願をしたところ、たちまち念願成就したことから天皇の祈願寺となり、天武天皇7年(679)には天皇の勅命により境内が整備され勅額を賜っています。その後一時衰退しますが康和5年(1103)、僧智能、大江重房、藤原連長が再興、天治元年(1124)の大地震により多くの堂宇が被害を受け、大治元年(1126)に大江為道が再建、さらに建久7年(1196)に聖観上人が境内の再整備をし広く教えを広めました。鎌倉時代は寺運が隆盛し、最盛期には一山5百余坊、3千人の僧を擁し弘安6年(1283)には一遍上人も甚目寺を訪れています。戦国時代に入ると織田信長、織田信雄、豊臣秀吉から庇護され、特に織田信雄は本能寺の変後に岐阜善光寺(岐阜県岐阜市)から信州善光寺(長野県長野市)の本尊である阿弥陀仏を甚目寺に移し寺領として30町歩を寄進しています。江戸時代に入ると歴代尾張藩主から庇護され徳川義直は寺領300石を安堵し尾張四観音寺(甚目寺観音・荒子観音・龍泉寺観音・笠寺観音)の筆頭として36坊を擁し寺運が隆盛しました。古くから神仏習合し漆部神社(八大明神社)を鎮守社としてきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により神式が廃され寺院として独立しています。

甚目寺の文化財
 ・ 甚目寺南大門−三間一戸・楼門−建久7年−国指定重要文化財
 ・ 甚目寺東門−四脚門−寛永11年−国指定重要文化財
 ・ 甚目寺三重塔(吉田半十郎の寄進)−寛永4年−国指定重要文化財
 ・ 絹本著色不動尊像−12世紀−国指定重要文化財
 ・ 絹本著色仏涅槃図−鎌倉時代末期−国指定重要文化財
 ・ 木造愛染明王坐像−鎌倉時代−愛知県指定文化財
 ・ 木造金剛力士像(福島正則奉納)−安土桃山時代−愛知県指定文化財
 ・ 梵鐘−建武4年−愛知県指定文化財

甚目寺
甚目寺
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