鳳来山東照宮(新城市)概要: 鳳来山東照宮の創建は慶安元年(1648)、3代将軍徳川家光が日光東照宮(栃木県日光市)に参拝した際、「日光東照宮縁起」を目にすると、松平広忠と於大の方が、鳳来寺本尊薬師如来像に子宝祈願し、見事懐妊し竹千代(後の徳川家康)を授かったことが記されていました。家光はこの地が神君家康公と深い繋がりが深い事を知り老中安倍忠秋に命じて鳳来寺の境内に東照宮を建立の計画を立て作事奉行太田資宗が工事を担当しました。慶安3年(1650)、家光は死去しますが4代将軍徳川家綱が事業を引き継ぎ、太田資宗に加え本多利長、小笠原忠知などが加わり慶安4年(1651)に社殿が完成しました。本殿には江戸城の紅葉山御殿に安置されていた厨子と御神体(神像)が遷座、安置され、徳川将軍家からは家康縁の太刀、諸大名から様々な宝物が寄進されました。江戸時代を通して幕府が庇護し明暦2年(1656)には社領470石が寄進され、社殿の改修や修繕には幕府が費用を賄っています。創建当時から神仏習合し天台宗の鳳来寺松高院が別当寺院として祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、新たに神官を迎え郷社に列しています。祭神:東照大権現(徳川家康)。合祀・鎮守社三社:山王権現、熊野権現、白山権現。
又、鳳来山東照宮は日光東照宮(栃木県日光市)、久能山東照宮(静岡県静岡市)と共に日本三大東照宮に数えられています。ただし、日本三大東照宮には諸説あり、鳳来山東照宮ではなく上野東照宮(東京都台東区上野恩賜公園内:藤堂高虎が家康の遺言に従い屋敷内に創建)や世良田東照宮(群馬県太田市:徳川家の祖である世良田氏発祥地に創建、社殿は2代将軍徳川秀忠が日光東照宮の社殿として造営したものを移築)、仙波東照宮(埼玉県川越市:徳川家康の御霊又は遺骸が日光に遷座する際に一時安置した霊地に創建)、滝山東照宮を指す場合もあります。
現在の社殿は慶安4年(1651)当時のもので、本殿は、入母屋、檜皮葺、平入、桁行3間、梁間2間、1間向拝付、極彩色、内部には江戸城紅葉山東照宮から奉遷された宮殿が安置されています。拝殿は入母屋、檜皮葺、平入、桁行3間、梁間2間、1間向拝付、極彩色。幣殿は切妻、檜皮葺、妻入、桁行2間、梁間1間、極彩色。中門は平唐門、間口1間。鳳来山東照宮本殿、拝殿、幣殿、中門、透塀(左右2棟)、水屋(手水舎:水盤含む)は、石柵、石燈籠2基(慶安4年:1651年、吉田城主小笠原忠知奉納)、板札1枚、棟札3枚と共に昭和28年(1953)に国重要文化財に指定されています。又、境内一帯(鳳来寺山)は昭和6年(1931)に国の名勝及び天然記念物に指定されています。
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