岡崎城

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岡崎城・歴史・観光・見所
岡崎城概要: 岡崎城岡崎城は康正元年(1455)、西郷稠頼(三河国守護仁木義長の守護代)によって築かれたのが始まりとされます。この地は矢作川と菅生川が合流する天然の要害で、当時台頭してきた松平氏に対しての防御拠点として重要視されました。西郷頼嗣の代に松平氏に屈し松平信光の5男光重を西郷家の養子することで和解し光重が岡崎城(当時は龍燈山城)の城主となりました。信貞の代に大きく城が拡張されますが大永4年(1524)、同族である松平清康と対立し岡崎城を追われます。清康は岡崎城を居城とし城を拡張すると共に各地に侵攻し三河国をほぼ掌握しますが、享禄4年(1531)、尾張国の守山にて家臣阿部正豊により刺殺されます。跡を継いだ広忠は年少だった事もあり次第に今川家に従属するようになり天文11年(1542)に竹千代(後の徳川家康)が岡崎城で生まれるも今川家に人質として差し出しています。天文18年(1549)、広忠が岡崎城で家臣により殺害されると、岡崎城は今川家に摂取され城代が配されました。永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで今川義元が討死すると松平元康(後の徳川家康)は岡崎城を摂取し織田信長に組するようになります。家康は岡崎城を居城として三河を統一しさらに遠江まで侵攻した為、元亀元年(1570)居城を浜松城(静岡県浜松市)に移し、岡崎城には嫡男である松平信康が配されます。信康が謀反の疑いで自刃すると徳川家家臣が城代を歴任し、天正18年(1590)に家康が関東に移封になると豊臣家家臣田中吉政が5万石で入封します。吉政は関東の家康を封じる拠点として岡崎城を大改修し城下町も整備、東海道を岡崎城下に引き込むなど経済の育成にも尽力しています。慶長7年(1602)、本多康重が上野国白井城(群馬県渋川市白井)から5万石で入封すると岡崎藩を立藩します。正保2年(1645)、4代利長が横須賀藩(静岡県掛川市大須賀町)に移封になると、吉田藩(愛知県豊橋市)から水野忠善が5万石で入封。宝暦12年(1762)、7代忠仁が唐津藩(佐賀県唐津市)移封になると古河藩(茨城県古河市)から松平康福が5万4千石で入封。明和6年(1769)、康福が浜田藩(島根県浜田市)に移封になると、浜田藩から本多忠粛が5万石で入封。以来、本多家が岡崎藩主を7代世襲し明治維新を迎えています。明治4年(1871)に廃藩置県、明治6年(1873)に岡崎城は廃城となり多くの建物が破却されます。
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