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滝山東照宮(岡崎市)概要: 滝山東照宮の創建は正保元年(1644)、3代将軍徳川家光が徳川の旧領である三河の本城で祖父徳川家康が生まれた地でもある岡崎城の近くに東照宮建立を計画したのが始まりとされます。家光は家康が庇護した滝山寺の境内に酒井忠勝、松平正綱、青龍院亮盛(滝山寺住職)の3人に命じて社殿を造営され、作事奉行として竹中重常が正保2年(1645)から正保3年(1646)にかけて工事が行われました。江戸時代を通して幕府から庇護され日光東照宮(栃木県日光市)、久能山東照宮(静岡県静岡市)と共に日本三大東照宮とされました。ただし、日本三大東照宮には諸説あり、滝山東照宮ではなく上野東照宮(東京都台東区上野恩賜公園内:藤堂高虎が家康の遺言に従い屋敷内に創建)や世良田東照宮(群馬県太田市:徳川家の祖である世良田氏発祥地に創建、社殿は2代将軍徳川秀忠が日光東照宮の社殿として造営したものを移築)、仙波東照宮(埼玉県川越市:徳川家康の御霊又は遺骸が日光に遷座する際に一時安置した霊地に創建)、鳳来山東照宮を指す場合もあります。別当寺として隣接する滝山寺が祭祀を司りましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により滝山寺から独立しています。大正5年(1917)に村社に列し、白山社、日吉社(滝山寺の守護神として12世紀前半に近江国の日吉大社の分霊が勧請され創建。社殿と御神体である神像は岡崎市指定文化財。)を合祀して常磐神社に社号を改称、さらに、大正12年(1924)稲荷社、若一皇子社、荒神社、神明社が合祀されました。昭和28年(1953)に本殿、幣殿、拝殿(狩野探幽一門の筆の板地色三十六歌仙図扁額が掲げられています)、中門、鳥居、水屋(附:石柵・銅燈籠:慶安元年、2基・板札:慶安4年4月・棟札1枚)が国指定重要文化財に指定され、昭和29年(1954)に旧社号である滝山東照宮に復しています。祭神:東照大権現(徳川家康)。
滝山東照宮の文化財
・ 本殿−入母屋、銅瓦葺、3×3、向拝付−正保3年−国重文
・ 拝殿・幣殿−入母屋、銅瓦葺、3×2、向拝付−正保3年−国重文
・ 中門−平唐門、銅瓦葺、切妻、一間−正保3年−国重文
・ 鳥居−石造、神明鳥居−正保3年−国重文
・ 水屋−切妻、銅瓦葺、1×1−正保3年−国重文
・ 太刀(銘:正恒)附:糸巻太刀拵(家光奉納)−鎌倉初期−国重文
・ 太刀(銘:長光)附:糸巻太刀拵(家綱奉納)−鎌倉後期−国重文
・ 板地著色三十六歌仙図扁額(36面)−正保3年−岡崎市指定文化財
・ 日吉山王社本殿−慶長13年−七間社流造−岡崎市指定文化財
・ 木造日吉山王神坐像(7躯・附:台座5基)−鎌倉前期及び延宝7年−市指定
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滝山東照宮 |
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