知立神社

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知立神社・歴史・観光・見所
知立神社概要: 知立神社の創建は景行天皇42年(112)、日本武尊が東夷東征の際、伊知里命に命じて祖神の分霊を勧請し仲哀天皇元年(192)に社殿が造営されたのが始まりと伝えられています。嘉祥3年(850)に慈覚大師が巡錫でこの地を訪れた際、毒蛇に噛まれ重篤となり知立神社に祈願したところ忽ち治癒し、その神意に感謝した大師が別当寺院となる神宮寺を開いています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社「池鯉鮒大明神」とされ、弘長元年(1261)には正一位に列し、三河国二之宮、さらに東海道三大社(三島大社、知立神社、熱田神宮)に数えられ古くから格式が高く、中央にも知られた存在だったとされます。中世に入ると領主である水野家から崇敬庇護され、天文16年(1547)の戸田氏からの兵火により社殿が焼失すると当初の鎮座地である山町の北部から上重原へ遷座、さらに元亀2年(1571)に再び焼失すると天正元年(1573)に現在地に遷座し、当時の領主水野信之が社殿を造営しました。その後は松平清康や徳川家康などから庇護されました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、総持寺(神宮寺)の住職が神官となり総持寺は廃寺となっています(昭和2年に総持寺は再興)。現在の知立神社多宝塔は案内板によると「 社伝によれば、八五〇年(嘉祥三)天台宗僧円仁が神宮寺を創立し、多宝塔を建立した。後知立神社の別当寺となった。現存する多宝塔は、一五〇九年(永正六)重原城主山岡忠左衛門が再建した。三間二層の塔であり、正面に桟唐戸を配し、左右には連子窓、他は嵌板張りである。屋根は柿葺で、塔高は約十mあり、室町時代の建築である。明治の神仏分離令の際には、祀られていた愛染明王を総持寺に移し、相輪を除き、瓦葺にかえ、「知立文庫」と名も替えて、取り壊しの難をのがれた。 知立市教育委員会 」とあります。知立神社多宝塔は室町時代に建てられた多宝塔建築の遺構として大変貴重なことから明治40年に国指定重要文化財に指定されています。又、享保17年(1732)に造営された知立神社石橋と寛政5年(1793)に建立された芭蕉句碑が知立市指定文化財に指定されています。
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