真清田神社(一宮市)概要: 真清田神社の創建は神武天皇33年(紀元前628)、天香山命が父神でこの地を開拓した天火明命の御霊を勧請したのが始まりとされ、天香山命の出身地が葛城国高尾張邑だったことから当地を尾張と名付けたと云われています。古くから格式が高く続日本後紀によると承和14年(847)に従五位下、日本文徳天皇実録によると仁寿元年(851)に官社、日本文徳天皇実録によると仁寿3年(853)に従四位下、日本三代実録によると貞観7年(865)に正四位上に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に名神大社として記載され尾張国で最も格式が高かった事から尾張国一宮と称するようになりました(格式だけ見ると熱田神宮の方が高く、何故、真清田神社が尾張国一宮になったのかは謎とされます)。歴代領主や朝廷などから崇敬され鎌倉時代には順徳天皇が舞楽面を奉納し、戦国時代には関成政(森家家臣)が織田信長から拝領した名香蘭奢待の破片を寄進しています。天正12年(1584)の大震災で社殿が大破し、豊臣政権下では社領が認められず衰微しましたが江戸時代に入ると尾張藩(藩庁:名古屋城)から庇護され藩主松平忠吉から社領200石、寛永4年(1627)には藩主徳川義直から社領105石が寄進され寛永8年(1631)には義直の命で社殿の大造営が行われ、寛永16年(1639)には同じく義直から朱印地336石6斗が安堵されています。明治18年(1885)に国幣小社、大正3年(1914)に国幣中社に列しました。祭神:天火明命。
現在の社殿は昭和20年(1945)戦災で焼失後の昭和29年(1954)から昭和32年(1957)に再建されたもので古式を世襲した真清田造りで平成18年(2006)に本殿(三間社流造、銅板葺)と渡り廊下(切妻、妻入、銅板葺、間口1間、奥行3間)、祭文殿(切妻、銅板葺、平入、桁行3間、梁間3間)、北門(切妻、薬医門)及び透塀が国登録有形文化財に指定されています。楼門(神社山門)は昭和36年(1961)に再建されたもので入母屋、銅板葺、三間三戸、八脚楼門。
真清田神社の文化財
・ 舞楽面(12面)−鎌倉〜室町−国指定重要文化財
・ 御膳台盤(20枚)−長禄元年−国指定重要文化財
・ 銅碗・銅皿(22枚)−天正2年−国指定重要文化財
・ 朱漆フ子(5枚)−長禄元年−国指定重要文化財
・ 獅子頭(1面)−文明3年−愛知県指定文化財
・ 舞楽面(7面)−愛知県指定文化財
・ 金銀釣灯龍(2基)−永正15年−一宮市指定文化財
・ 能面(3面)−一宮市指定文化財
・ 宗教面(3面)−一宮市指定文化財
・ 真清探桃集(8巻6冊)−享保18年−一宮市指定文化財
・ 銅鈴(一口)−建暦元年−一宮市指定文化財
・ 神頭矢(1手)−永正7年−一宮市指定文化財
・ 真清田神社本殿出土鎮物−平安〜室町−一宮市指定文化財
・ 紙本著色真清田神社古絵図 −一宮市指定文化財
・ 本殿及び渡殿−昭和32年−国登録有形文化財
・ 祭文殿−昭和32年−国登録有形文化財
・ 北門及び透塀−昭和32年−国登録有形文化財
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