|
|
滝山寺(岡山市)概要: 滝山寺の創建は朱鳥元年(686)、天武天皇の勅命で役行者が御堂を建立して薬師如来像を安置したのが始まりと伝えられています。その後、一時衰退しましたが保安年間(1120〜23)、仏泉永救上人(比叡山延暦寺:滋賀県大津市坂本:の僧)が天台宗の寺院として再興しています。鎌倉時代に入ると、当時の住職寛伝和尚が源頼朝の従兄弟だった事から幕府から庇護され、建久年間(1190〜99)には頼朝から寺領412石が寄進され寺運も隆盛しました。その後も三河守護の足利氏、室町時代には足利尊氏が庇護するなど隆盛しましたが天正18年(1590)、新たに岡崎城の城主になった田中吉政により寺領が召し上げられ再び衰退します。江戸時代に入ると幕府から庇護され寛永18年(1641)には3代将軍徳川家光から寺領が安堵され、正保2年(1645)には境内に滝山東照宮を建立すると、新たに寺領200石を寄進しています。以来、滝山東照宮と神仏習合の形態でしたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により双方が独立しました。現在の本堂は貞応元年(1222)に建立されたと伝えられる建物で寄棟、檜皮葺、桁行5間、梁間5間、内部は中世密教本堂の構成され内陣には禅宗様の大型厨子が安置されています。仁王門(三門)は文永4年(1267)に建立されたと伝えられる建物で(様式的には鎌倉時代末期から室町時代初期)、入母屋、こけら葺、三間一戸、楼門形式、下層部には仁王像が安置され、山門建築としては三河最古の建物と言われています。寺宝の木造観音菩薩立像及び梵天・帝釈天立像は正治3年(1201)、寛伝和尚が頼朝三回忌の追善の為運慶・湛慶父子に依頼して製作され胎内には頼朝の鬚と歯が入れられたと伝えられています。境内背後に鎮座する日吉山王社本殿は慶長13年(1608)、徳川家康が造営したと伝えられる建物で(形式的にが隣接する滝山東照宮と類似点が多い事から正保2年に徳川家光が造営したとされます。)、七間社、流造、江戸時代初期に建てられた神社本殿建築で全国的に見ても七間の流造社殿は数が少なく貴重なものとされ岡崎市指定文化財に指定されています。
滝山寺の文化財
・ 滝山寺本堂−貞応元年−国指定重要文化財
・ 滝山寺三門−文永4年−国指定重要文化財
・ 木造観音菩薩・梵天・帝釈天立像−正治3年−国指定重要文化財
・ 木造狛犬(1対)−鎌倉末〜南北朝−愛知県指定文化財
・ 錫杖(2柄)−鎌倉・室町−愛知県指定文化財
・ 孔雀文磬−明応4年−愛知県指定文化財
・ 木造菩薩面付き4点(6面)−鎌倉時代−愛知県指定文化財
・ 木造仁王像(2躯)−鎌倉時代末期−岡崎市指定文化財
・ 滝山寺鬼祭り−愛知県指定無形民俗文化財
・ 木造十一面観音菩薩立像−鎌倉時代−岡崎市指定文化財
・ 木造慈恵大師坐像−鎌倉時代後期−岡崎市指定文化財
・ 木造日光・月光菩薩立像(2躯)−鎌倉−岡崎市指定文化財
・ 木造十二神将立像(12躯)−鎌倉時代−岡崎市指定文化財
・ 木造天台大師坐像−平安時代後期−岡崎市指定文化財
・ 木造毘沙門天立像−平安時代後期−岡崎市指定文化財
・ 木造不動明王坐像−平安時代後期−岡崎市指定文化財
・ 木造弁財天坐像−応永24年−岡崎市指定文化財
・ 蒔絵曲?−安土桃山時代−岡崎市指定文化財
・ 鞍−鎌倉時代−岡崎市指定文化財
・ 高階惟行・坂上惟伴連署田地寄進状−嘉禄2年−岡崎市指定文化財
|
|
滝山寺 |
|
[ 付近地図: 愛知県岡崎市 ]・[ 岡崎市:歴史・観光・見所 ] |
|
|
|