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大須観音概要: 大須観音(宝生院)の創建は南北朝時代に美濃国大須郷に開かれたのが始まりとされます。当初は真福寺と称していましたが、元亨4年(1324)、後醍醐天皇の勅願により北野天満宮の分霊を勧請し長岡天満宮を創建した際、当寺を別当寺として選定し能信上人を招き宝生院に寺号を改称しました。その後、寺運が隆盛し末寺は伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃に及び寺領も1万石に及びましたが度重なる兵火により次第に衰退しました。戦国時代に入ると織田信長に庇護され寺領500石が安堵されますが慶長10年(1605)に洪水により堂宇が大破し境内も荒廃します。慶長17年(1612)に新たに名古屋城が築城される際、徳川家康が当時の犬山城の城主成瀬正茂に命じて現在地に再興再建しました。以来、寺運が隆盛し広大な境内には五重塔が造営され、日本三大観音(大須観音・浅草観音・津観音)に数えられました。又、寺宝が多く、「真福寺文庫」内には国宝4点、国指定重要文化財37点が所蔵され日本三経蔵(大須観音・醍醐寺・根来寺)、本朝三文庫(大須観音・仁和寺・根来寺)に数えられています。明治25年の大須大火と昭和20年の名古屋大空襲の戦火により多くの堂宇が焼失しましたが昭和45年に再建されました。
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大須観音の国宝
・ 古事記(3帖)−南北朝時代、古事記の最古の写本とされる。
・ 漢書食貨志(第四:1巻)−嘉保2年の写経。
・ ちょう玉集(巻第十二・第十四:2巻)−天平19年書写奥書(2巻)
・ 翰林学士詩集(1巻)−唐の詩人、太宗・許敬宗・揚師道の写本。
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大須観音 |
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