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知立市(歴史)概要: 知立市は景行天皇42年(112)に創建された知立神社の門前町として発展した町です。知立神社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社で三河国二之宮、東海道三大社(三島大社、知立神社、熱田神宮)にも数えられ大きな影響力を持ちました。知立神社の神官である永見氏は後白河院配下の武士となり知立城を築くなど土豪としても勢力を広め、長きに渡りこの地を支配しました。戦国時代に入ると永見氏一族から徳川家康の側室於万の方(長勝院)を輩出し結城秀康を産んでいます。当時の永見氏は今川家に属した為刈谷城(愛知県刈谷市)の水野氏や岡崎城(愛知県岡崎市)の松平清康、駿府城(静岡県静岡市)らに従いましたが、永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、織田軍が当地まで進軍し敢え無く知立城は落城しています。その後、織田信長に従った水野忠重が知立城を接収し、天正年間(1573〜92)には信長に対しての迎賓館的な施設を設けました。江戸時代に入ると東海道の日本橋から数えて39番目の宿場町、池鯉鮒宿として整備され知立城の跡地には寛永年間(1624〜43)に将軍上洛時の宿泊施設として御殿が設置されています。池鯉鮒宿は物資の集積場としても発展し馬市や木綿市などが行われ周辺地域の経済的中心地となりました。天正14年に編纂された記録によると池鯉鮒宿には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒、人口1620人となっています。
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知立市 |
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知立市:観光・見所 |
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