刈谷市・歴史・観光・見所

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刈谷市・歴史・観光・見所
刈谷市概要: 刈谷の地は古くは衣浦湾の入り江の奥に位置し、境川、逢妻川、猿渡川周辺には数多くの貝塚が点在し、当時から住み良い地域だったと思われます。元慶元年(877)には狩谷出雲守の一族が出雲から当地に移り住み開発したとされ地名の由来になっています。8世紀後半から9世紀前半頃には井ヶ谷の数多くの窯が設けられ、そのうちの31基が刈谷市指定文化財に指定されています。鎌倉時代に入ると鎌倉とと京都を結ぶ鎌倉街道が開削され刈谷市では祖母神社境内にその跡と伝えられる小道が残っています。戦国時代に入ると水野氏が台頭し天文2年(1533)には刈谷城を築き当地の支配を確立しています。水野氏は隣接する今川家、松平家、織田家の間に挟まれ翻弄しますが天正3年(1575)、当時の当主水野信元は武田氏との内通が信長に疑われ大樹寺岡崎市)で殺害されました。刈谷城には織田家家臣佐久間信盛が入りますが天正8年(1580)に追放となり水野忠重(信元の弟)が復権します。慶長20年(1615)、当時の城主水野勝成が大和郡山城へ移封になると、弟である水野忠清が小幡藩(群馬県甘楽町)から3万石で入封。寛永9年(1632)、忠清が吉田藩(愛知県豊橋市)に移封になると松平忠房が入封。慶安2年(1649)に福知山藩(京都府福知山市)に移封になると伊勢長島藩(三重県桑名市)から松平定政が2万石で入封。慶安4年(1651)定政が改易になると三条藩(新潟県三条市)から稲垣重綱が2万3千石で入封。元禄15年(1702)、稲垣重富が大多喜藩(千葉県大多喜町)に移封になると大多喜藩から阿部正春が1万6千石で入封。宝永7年(1710)、阿部正鎮が佐貫藩(千葉県富津市)へ移封になると村上藩(新潟県村上市)から本多忠良が5万石で入封。正徳2年(1712)に忠良が古河藩(茨城県古河市)へ移封になると延岡藩(宮崎県宮崎市)から三浦明敏が2万3千石で入封。延享4年(1747)に三浦義理が西尾藩(愛知県西尾市)に移封になると西尾藩から土井利信が2万3千石で入封。土井家は9代に渡り刈谷藩の藩主を世襲し明治維新を迎えています。又、当時の重原村、野田村、半城土村、高須村、小垣江村、犬ケ坪村等18か村が寛政2年(1790)の大一揆の罪により刈谷藩から福島藩領となり、明治元年に遺領を受継ぐ形で重原藩を立藩しています。
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