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西尾市(歴史)概要: 西尾市は早くから中央との繋がりを持った地域で5世紀頃には全長94mという西三河最大の前方後円墳である正法寺古墳が築かれています。正法寺古墳は三段構成の墳丘に葺石が葺かれ周囲には円筒埴輪や形象埴輪が配されているもので畿内政権と関係の深い有力豪族の存在を示しています。文徳天皇の御代(850〜58)には八條院宮(文徳天皇の皇子)がこの地を支配し旧領である三河国渥美郡伊川津から天王社(伊文神社)と八幡社(御劔八幡宮)を勧請して当地の鎮守としています。鎌倉時代中期に足利義氏が三河守護になると承久3年(1221)に西条城(西尾城)を築き長男・長氏を配し西条吉良家の祖となり、長く当地を支配します。戦国時代に入ると吉良家を統一した吉良義昭は今川家に属した為、桶狭間の戦い以降、織田信長に従属した徳川家康と対立し永禄4年(1561)、家康に攻められ滅亡しています。代わって徳川家家臣酒井正親が城主となりますが天正18年(1590)に家康が関東に移封になると随行し、豊臣家家臣田中吉政が西尾に配されます。慶長6年(1601)、本多康俊が2万石で入封に西尾藩を立藩、元和3年(1617)康俊が膳所藩(滋賀県大津市)に移封になると板橋藩(栃木県日光市)から松平成重が2万石で入封。元和7年(1621)に成重が丹波亀山藩(京都府亀山市)に移封になると膳所藩から本多俊次が3万5千石で入封。寛永13年(1636)に俊次が伊勢亀山藩(三重県亀山市)に移封になると、寛永15年(1638)に山川藩(茨城県結城市)から太田資宗が3万5千石で入封。寛永21年(1644)に資宗が浜松藩(静岡県浜松市)に移封になると、正保2年(1646)に安中藩(群馬県安中市)から井伊直好が3万5千石で入封。万治2年(1659)に直好が掛川藩(静岡県掛川市)に移封になると増山正利が2万石で入封。寛文3年(1673)、2代増山正弥が下館藩(茨城県筑西市)に移封になると、土井利長が2万3千石で入封。延享4年(1747)、4代土井利信が刈谷藩(愛知県刈谷市)に移封になると、三浦義理が2万3千石で入封。明和元年(1764)に2代三浦明次が勝山藩(岡山県真庭市)に移封になると山形藩(山形県山形市)から松平乗祐が6万石で入封。以後、大給松平家が5代西尾藩主を歴任し明治維新を迎えています。西尾市は古い町並みや京都の大文字焼きを模した鍵万燈と呼ばれる行事があることから三河の小京都と呼ばれています。
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西尾市 |
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西尾市:観光・見所 |
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