清須市・歴史・観光・見所

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清須市・歴史・観光・見所
清須市(歴史)概要: 清須市は古くから開けていた地域で朝日遺跡は推定面積80万uにも及ぶ弥生時代の東海地方最大級の環濠集落遺跡として知られ国指定史跡に指定されています。室町時代に入ると尾張国の中心として重要視されるようになり応永7年(1400)には当時の尾張守護である斯波義重が下津城に守護所を移しています。文明8年(1476)、尾張守護代織田家の内部分裂により下津城が落城し守護所が清洲城に移され以後、清洲城が尾張の中心として発展します。弘治元年(1555)、当時の守護代織田信友は織田信長に組した織田信光によって殺害されると永禄6年(1563)に信長が小牧山城に移るまで信長の居城となり、信長が岐阜城(岐阜県岐阜市)に移ると清洲城は嫡男信忠に与えられます。天正10年(1582)、本能寺の変で信長、信忠共に討たれると、清洲城で俗に言う清洲会議が行われ、清洲城は信長の次男織田信雄の持城となりました。天正14年(1586)、信雄は豊臣秀吉に対抗する為、清洲城を大改修し三重の堀に大天守、小天守を備えた大城郭を築きますが天正18年(1590)、東海地方への移封を断った為、那須烏山城(栃木県那須烏山市)に移されます。その後、豊臣秀次、福島正則の居城となり、慶長5年(1600)の関が原の戦い後は松平忠吉が52万石で入封し清洲藩を立藩します。慶長12年(1607)、忠吉が関が原の戦いの傷が元で死去すると徳川義直(徳川家康5男)が入封しますが慶長14年(1609)、徳川家康の命で新たに名古屋城が築かれる事となり慶長18年(1613)に清洲城は廃城となり、城下町にあった主要の神社や寺院、商家などが名古屋城下に移されます。その後は中山道と名古屋城下、東海道を結ぶ美濃路の宿場町(清洲宿)として発展し、慶長16年(1611)には青物市が発足、枇杷島市場として流通経済の中心地となりました。
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清須市
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