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蒲郡市(歴史)概要: 蒲郡市の古墳時代には小規模ながら権現山古墳や三月田古墳群、馬乗古墳群などが築造され領主階級の人物が存在していました。平安時代に藤原俊成が三河国司になると竹谷荘、蒲形荘を開発したとされ近江の竹生島から弁財天を勧請して八百富神社を創建したと伝えられています。戦国時代に入ると、竹谷周辺には松平家の分家である竹谷松平家が支配し、形原には同じく形原松平家が支配します。両家共、半独立した国人領主で今川家が台頭するとその支配下に入り、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討ち取られると、今川家から離反し松平宗家に従っています。天正18年(1590)に宗家である徳川家康が関東に移封されると両家とも随行し、関が原の戦い後に竹谷松平家は吉田藩3万石、形原松平家は形原領5千石が与えられました。元和4年(1618)、大坂の陣の功で形原松平家はさらに1万石が加増され1万5千石で形原藩を立藩、しかし、元和5年(1619)高槻藩2万石で移封となり形原藩は廃藩となります。逆に竹谷松平家は7代忠清に嫡子なく絶家となり、忠清の弟である松平清昌が蒲形領5千石が与えられ以後、明治維新までこの地を領しました。
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蒲郡市 |
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蒲郡市:観光・見所 |
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