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豊川稲荷(妙巌寺)概要: 妙巌寺(豊川稲荷)の創建は嘉吉元年(1441)東海義易によって開かれ本尊として千手観世音菩薩を、山門の鎮守として寒巖禅師御自作のダキニシンテン像を安置したのが始まりとされます。戦国時代には今川義元が深く帰依し天文年間(1532〜55)には山門を造営し寺領を寄進しました。江戸時代に入ると幕府から庇護され、徳川家康は寺領49石を安堵し、当時の江戸町奉行大岡忠相がダキニシンテンの分霊を自らの江戸屋敷に勧請し、後の赤坂豊川稲荷となっています。ダキニシンテンは仏教の女神ですが日本の稲荷神と神仏習合し、江戸時代には妙巌寺よりも豊川稲荷として認識され商売繁盛、家内安全、福徳開運に御利益があるとして広く庶民にも信仰され伏見稲荷など共に日本三大稲荷(豊川稲荷妙厳寺・祐徳稲荷神社・笠間稲荷神社・最上稲荷妙教寺・竹駒神社・千代保稲荷神社・瓢箪山稲荷神社・草戸稲荷神社など諸説あり)に数えられました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により神式は廃され稲荷神は改めて寺院鎮守のダキニシンテンとされ境内の鳥居も撤去されました。その後に吹き荒れた廃仏毀釈運動が落ち着くと再び豊川稲荷と呼ばれる(通称として)ようになり、鳥居や大本殿などが随時再建されました。ただし、形式的にはあくまで寺院であり仏式を廃した伏見稲荷に代わりダキニシンテンを祀る稲荷系寺院の本山的存在となりました。
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豊川稲荷(妙巌寺) |
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