鷲津砦 |
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[ 付近地図: 愛知県名古屋市 ]・[ 名古屋市:歴史・観光・見所 ] |
鷲津砦概要: 鷲津砦は永禄2年(1559)、今川方となった大高城と鳴海城の分断を図る為、織田信長によって築かれました。砦には織田秀敏(信長の大叔父)、飯尾定宗(織田飯尾家の祖)が入り、鳴海城の山口教吉、大高城の朝比奈泰能に対します。永禄3年(1560)、今川義元の尾張侵攻に呼応し朝比奈泰能が鷲津砦に急襲、信長も兵を集め清洲城から出陣するも、既に落城していたとされ飯尾定宗、織田秀敏両名も討死しています。信長は善照寺砦で陣形を揃えてから、桶狭間まで進軍した今川方本隊を急襲し、結果、義元をはじめ有力武将が次々と討ち取とり勝利を収めます。大高城の朝比奈泰能と松平元康(後の徳川家康)は自領に引き上げ、鳴海城の岡部元信は義元の首を返すとの条件で開城したことから鷲津砦の軍事的な重要性が失われ、以後、利用されることが無かったとされます。鷲津砦は大高城・丸根砦と共に昭和13年(1938)に国指定史跡に指定されています。
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