万松寺 |
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万松寺概要: 万松寺の創建は天文9年(1540)、当時の古渡城の城主織田信秀が開基となり大雲永瑞和尚(雲興寺8世:信秀の叔父)を招いて開山したのが始まりとされます。天文20年(1551)信秀が末森城で死去すると、万松寺で葬儀が行われ、嫡男である織田信長が抹香を仏前に投げつけた逸話が残っています。信秀を継いだ信長も篤く庇護し、元亀元年(1570)に行われた朝倉氏遠征の際、鉄砲玉に被弾しましたが運良く無傷だった為、当寺の不動明王が身代わりになったと伝えられています。又、竹千代(後の徳川家康)が織田方の人質時代に当寺で過ごしたとされています。当初は那古野城の南側に広大な境内を領していましたが、慶長15年(1610)に名古屋城を築く際に現在地に移され、加藤清正の宿所として利用されています。江戸時代に入ると尾張藩から庇護され初代藩主徳川義直の正室高源院が当寺に葬られ霊廟(戦後、名古屋東照宮に移築され名古屋東照宮の本殿となっています。名古屋市指定文化財)が造営されています。昭和20年(1945)の名古屋大空襲により被災し多くの堂宇が焼失し現在地は商店街に溶け込むように佇んでいます。
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