名古屋東照宮 |
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名古屋東照宮概要: 名古屋東照宮の創建は元和5年(1619)、尾張藩初代藩主徳川義直(徳川家康の9男)が名古屋城の三の丸に日光東照宮(栃木県日光市)から徳川家康の分霊(東照大権現)を勧請し家康神像を安置したのが始まりとされます。義直は成瀬正成(尾張藩の附家老、犬山城の城主)、竹腰正信(尾張藩附家老、今尾領主)に命じて極彩色に彩られた華麗な社殿を造営し社殿(本殿、渡殿、拝殿:権現造)、唐門、透塀、楼門が国宝に指定されました(昭和20年:1945年の名古屋大空襲により焼失)。名古屋開府の祖神である徳川家康を祀る神社として歴代尾張藩主が庇護し、社領1千石が安堵され社殿の営繕工事は藩費によって賄われました。当時は神仏習合し別当として尊寿院(天台宗)が奉斎を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、明治5年(1872)に村社、明治8年(1875)に県社に列しました。明治9年(1876)、名古屋城に名古屋鎮台(明治前期の陸軍の一団)が設置されることになり現在地(旧明倫堂跡地)に遷座、昭和20年(1945)の名古屋大空襲の戦火により多くの社殿、社宝、記録などが焼失しました。現在の本殿は慶安4年(1651)に高原院殿(徳川義直の正室)の霊廟として建てられたもので、当初は万松寺境内にありましたが大正3年(1914)に建中寺に移され昭和29年(1954)に現在地に移しました。名古屋東照宮本殿(寄棟、桟瓦葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付・附:平唐門・塀)は名古屋市内に残る数少ない霊廟建築の遺構として貴重なことから昭和35年(1960)に愛知県指定文化財、平成4年(1992)に名古屋市の都市景観重要建築物に指定されています。例祭である東照宮祭は天王社の天王祭、若宮八幡社の若宮祭と共に名古屋三大祭に数えられ江戸時代後期には名古屋最大の祭りとして多くの人達が名古屋を訪れ活況に呈しました(最盛期には山車が9台町内を練り歩いた)。祭神:徳川家康公(贈正一位太政大臣)
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