荒子城 |
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荒子城概要: 荒子城は天文年間(1532〜55)に前田利昌によって築かれたのが始まりとされます。1説には天文6年(又は天文7年)に加賀藩100万石の祖となった前田利家(利昌の4男)が荒子城で生まれたとも云われています。永禄3年(1560)に利昌が死去すると嫡男の利久が継ぎましたが元亀元年(1570)頃、織田信長の寵愛を受けた利家が半ば強引に荒子城の城主となります。その際、利久の重臣で荒子城の城代だった奥村永福が立て籠もりましたが、その後の退去命令により城を明け渡しています。天正3年(1575)に利家が府中城(福井県越前市)に移ると荒子城には嫡男である利長が城主となり、天正9年(1581)に利家が七尾城(石川県七尾市)に移ると今度は利長が府中城に移った為、荒子城は廃城となります。荒子城は若干の高台の上に築かれた東西約68m、南北約50mの単郭の平城(居館)で周囲には一重の堀が巡らされていました。利家が荒子城の時代から従っていた者を「荒子衆」として特に信頼していたとされ金沢城(石川県金沢市)を築いた際は大手門付近に尾張町を設け「荒子衆」を住まわせたとされます。
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