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砥鹿神社(豊川市)概要: 太古の昔、大深山(本宮山)に猿形、鹿形、鬼形の3体が現れ猿形は石舟に乗って猿投山(標高:629m、愛知県豊田市・瀬戸市)へ飛び猿投大明神となり、鹿形は本宮山(大深山・標高:789m、愛知県岡崎市・豊川市・新城市)に鎮座し砥鹿大菩薩となり、鬼形は北方へ飛んで一夜に霊山(飯盛山・標高254m、愛知県豊田市、鬼形は善征鬼と称し麓の足助八幡宮に祀られた。)を築いたと云われています。又、本宮山は東三河の最高峰で、山頂付近には巨石、怪石が点在している事から古代からの自然信仰の延長だったとも考えられます。砥鹿神社は当初、本宮山の山頂に鎮座していましたが(現在の奥社)、大宝年間(701〜704年)、文武天皇が重病になり勅使(草鹿砥公宣卿)を使わしたところ山中で道に迷い砥鹿神の化身と思われる老翁から助けられたことから、天皇は神意を感じ草鹿砥公宣卿に命じて山麓に社殿を造営しました(本宮山の山頂には砥鹿神社奥宮が鎮座)。格式も高く文徳天皇実録によると嘉祥3年(850)に従五位下、仁寿元年(851)に従五位上、三代実録によると貞観6年(864)に正五位下、貞観12年(870)に正五位上、貞観18年(876)に従四位上に列し延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社、三河国神名帳には正一位砥鹿大明神と記載され三河国一宮、東海地方の総鎮守として広く信仰されました。歴代領主、為政者から庇護され慶長7年(1602)には徳川家康より朱印地100石が寄進され、吉田藩(藩庁:吉田城)では例祭に藩主の代参を派遣して崇敬しました。砥鹿神社は明治4年(1871)に国幣小社に列しました。祭神:大己貴命。
砥鹿神社の文化財
・ 田峯の銅鐸−弥生時代後期−高さ36cm、鈕高11.5cm−愛知県指定文化財
・ ケヤキ−推定樹齢600年、樹高30m、幹周9.3m−愛知県指定天然記念物
・ 砥鹿神社奥宮の社叢−3万u、本宮山天狗の寄木など−愛知県指定天然記念物
・ 西参道石鳥居−天保13年−花崗岩製、明神鳥居−豊川市指定文化財
・ 砥鹿神社の和鞍−永禄3年−例大祭に流鏑馬で使用−豊川市指定文化財
・ 田遊祭−五穀豊穣を祈る予祝神事−豊川市指定無形民俗文化財
・ 粥占祭−年の天候や作物の豊凶を占う神事−豊川市指定無形民俗文化財
・ 火舞祭−火難の有無や大小を占う神事−豊川市指定無形民俗文化財
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砥鹿神社 |
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