随念寺(岡崎市)概要: 随念寺の創建は永禄5年(1562)、徳川家康が祖父である松平清康とその妹久子の菩提を弔う為、魯聞上人(大樹寺15世)を招いて開山したのが始まりとされます。天文4年(1535)に清康が尾張国守山で死去するとこの地に葬られ、永禄4年(1561)に久子が岡崎城の城内で死去すると遺言により清康の墓の近くに葬られることになりました。松平家と水野家が対立すると家康の生母である於大の方は実家である水野家に戻され、実質的に久子が家康の養育したとされ、その菩提寺である随念寺は松平家、徳川家から庇護されました。家康は清康の画像や阿弥陀三尊像、什器類などの寄進だけでなく、堂宇の造営や慶長8年(1603)には朱印地50石を与え、2代将軍徳川秀忠は堂宇の修築や山門の造営などを行っています。明治時代に入ると庇護者を失い衰退し、書院や庫裏は額田郡の所有となり明治6年(1873)には岡崎小学校、その後、額田郡第一番小学岡崎学校、町立岡崎高等小学校の校舎として利用され、さらに、その他の学校の仮校舎として利用されました。三河三十三観音霊場第2番札所。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
随念寺の文化財
・ 絹本著色松平清康像(1幅)−桃山時代−岡崎市指定文化財
・ 絹本著色釈迦涅槃像(1幅)−江戸時代−岡崎市指定文化財
・ 紙本淡彩十六羅漢像(1幅)−江戸時代−岡崎市指定文化財
・ 紙本著色倫誉上人像(1幅)−江戸時代−岡崎市指定文化財
・ 絹本著色倫誉上人像(1幅)−江戸時代−岡崎市指定文化財
・ 絹本著色張良黄石公像(1幅)−江戸時代−岡崎市指定文化財
・ 絹本著色張飛像・玄徳像・関羽像(3幅)−江戸時代−岡崎市指定文化財
・ 紙本十二ヶ月絵巻(1巻)−江戸時代−岡崎市指定文化財
・ 紙本淡彩反古画帖(1冊)−江戸時代−岡崎市指定文化財
・ 紙本墨画淡彩百盲行旅の図(1巻)−江戸時代−岡崎市指定文化財
・ 雲板(1面)−室町時代−岡崎市指定文化財
・ 梔子文堆朱香合(1合)−中国元時代−岡崎市指定文化財
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