六所神社(岡崎市)概要: 六所神社の創建は諸説あり一説には斎明天皇の御代(655〜661年)、天皇の勅願により塩釜神社(宮城県塩釜市)の六所大明神(塩釜神社の祭神とされる塩土老翁命・猿田彦命・事勝国勝長狭命の三柱)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。もう一説には永和3年(1377)に松平親氏が吉木山(現在の六所山)の山頂に塩釜神社の祭神である六所大明神の分霊(三柱)を勧請し松平郷の六所神社を創建、永禄年間(1558〜1570)に徳川家康が松平郷の六所神社から分霊(三柱)が勧請され岡崎の六所神社が創建されたと伝えられています。上記の説のその後は、桓武天皇の御代(781〜806年)に坂上田村麻呂が東夷東征の際、戦勝祈願に訪れ見事念願成就すると天皇から「六所大明神」の勅額を賜り社殿を再建しています。
中世に入ると領主である松平氏から崇敬庇護され、天文11年(1542)に竹千代(後の徳川家康)が岡崎城で生まれると産土神に感謝の意から参拝に訪れています。慶長7年(1602)には徳川家康が社領62石7斗が寄進、慶長9年(1604)には社殿の造営と社宝の奉納が行われています。
江戸時代に入ると幕府から庇護され、寛永11年(1634)には3代将軍徳川家光が上洛の際、岡崎城に宿泊し、祖父家康(東照大権現)の誕生縁の地であった事から崇敬社として岡崎城から六所神社を遥拝し、当時の岡崎城の城主本多忠利に命じて社殿を造営させ社領100石を寄進しています。
社殿は棟梁藤原長次が手懸けたもので本殿、幣殿、拝殿が一体となっている権現造り、本殿は黒漆を主体として随所に精緻な彫刻が施され極彩色で彩る格式の高い建物になっています。寛文2年(1662)には4代将軍徳川家綱は金子千両を寄進し、貞享5年(1688)には楼門(神社山門)が造営されています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令後に県社に列し、明治43年(1910)に周辺の多くの神社と合祀した事を受けて社号を「高宮神社」に改称、大正11年(1922)に現在の社号である「六所神社」に復しています。祭神:塩土老翁命、猿田彦命、衝立船戸命、太田命、興玉命、事勝国勝長狭命など。
六所神社の国指定重要文化財
・ 本殿−寛永11〜13年−三間社流造、檜皮葺、附:厨子(6基)、軒札(6枚)
・ 幣殿−寛永11〜13年−両下造、檜皮葺、桁行2間、梁間2間
・ 拝殿−寛永11〜13年−入母屋、檜皮葺、桁行5間、梁間3間、唐破風向拝付
・ 神供所−寛永11〜13年−入母屋、檜皮葺、桁行5間、梁間2間
・ 楼門(神社山門)−貞享5年−入母屋、檜皮葺、三間一戸、八脚楼門
六所神社の文化財
・ 絵馬群(楠公父子桜井駅別れ図・算額・など)−岡崎市指定有形民俗文化財
八脚門を簡単に説明した動画
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