創建年− | 神武天皇33年(紀元前628年)又は崇神天皇(在位:紀元前97年〜紀元前30年)の時代 |
祭 神− | 天火明命 |
格 式− | 式内社(名神大)・尾張国一宮・旧国幣中社・別表神社 |
文化財− |
舞楽面(12面:鎌倉〜室町、陵王、納曽利、還城楽、崑崙八仙、童舞、二ノ舞、貴徳、散手、国指定重要文化財)
御膳台盤(20枚:長禄元年、朱漆角切盤8枚、朱漆入角盤12枚、国指定重要文化財)
銅碗・銅皿(室町時代、天正2年寄進、銅鋺5口、銅皿20枚、国指定重要文化財)
朱漆フ子(5枚:長禄元年、高さ3.9cm、径3.9cm、国指定重要文化財)
獅子頭(1面:文明3年、神官坂上宗則作、画図之師 源朝臣長氏、愛知県指定文化財)
舞楽面(7面:鎌倉〜室町、納曽利3面 散手2面 崑崙八仙1面 抜頭1面、愛知県指定文化財)
金銀釣灯籠(2基:室町時代、1基は永正15年、一宮市指定文化財)
能面(3面:室町時代、翁1面、尉2面、一宮市指定文化財)
宗教面(3面:室町時代、鬼面1面、女鬼面1面、鬼神面1面、一宮市指定文化財)
真清探桃集(8巻6冊:享保18年神主の佐分清圓によって制作、現在は浄書本が残る、一宮市指定文化財)
銅鈴(一口:鎌倉時代、建暦元年の銘、一宮市指定文化財)
神頭矢(1手:永正7年、一宮市指定有形民俗文化財)
真清田神社本殿出土鎮物(平安〜室町、瑞花双鳥八稜鏡、唐花双鳥鏡など、一宮市指定文化財)
紙本著色真清田神社古絵図(承応2年に修復、中世の境内の様子が描かれている、一宮市指定文化財)
本殿(昭和32年、三間社流造、銅板葺、高欄付5級木階、国登録有形文化財)
渡殿(昭和32年、切妻、銅板葺、妻入、間口1間、奥行3間、国登録有形文化財)
祭文殿(昭和32年、切妻、銅板葺、桁行12m、梁間8.9m、国登録有形文化財)
北門及び透塀(昭和32年、切妻、間口2.7m、一間一戸、薬医門、国登録有形文化財)
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神 事− | 桃花祭:4月3日 |
場 所− | 愛知県一宮市真清田 |
備 考− | 真清田神社は何時頃から祀られていたのかは判りませんが、神武天皇33年(紀元前628年)又は崇神天皇(在位:紀元前97年〜紀元前30年)の時代に創建されたとの伝承が伝えられています。記録的な初見は「続日本後紀」でそれによると承和14年(847)11月11日に新たに従五位下に加列した事が記載されています。その後は平安時代に成立した「日本文徳天皇実録」、「日本三代実録」に神階が昇進した事が列記され、同じく平安時代に成立した延喜式神名帳には格式の高い名神大社として記載されています。格式は尾張国の中で熱田神宮(愛知県名古屋市)より低かったものの、国府から近い事などから尾張国一宮とされたようです。詳細は不詳ですが永万元年(1165)に編纂された「神祇官諸社年貢注文」に「尾張国一宮」との記載がある事から少なくとも平安時代後期には一宮として認識されていたようです。江戸時代には尾張徳川家(本城:名古屋城)から庇護され社領336石6斗が認められ、寛永8年(1631)には徳川義直により境内が整備され多くの社殿も再建されました。現在の真清田神社社殿は太平洋戦争の空襲により焼失した後に昭和36年(1961)に再建されたもので、本殿、渡殿、祭文殿、北門、透塀が国登録有形文化財に登録されています。 |