久麻久神社概要: 久麻久神社の創建は不詳ですが崇神天皇の御代(紀元前97〜紀元前29)、丹後国与謝郡から久麻久連一族が移り住んだことからその産土神、又、当地で産出される雲母の採掘の為に勧請されたのが始まりとされます。大宝年間(701〜704)に素盞鳥尊の分霊を勧請合祀し大宝天王宮と称するようになり、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載され近郷17ヶ村の総氏神として崇敬されました。中世に入ると領主である荒川氏が崇敬庇護し、特に荒川甲斐守義弘は堂宇を造営し荒川大宝天王宮に改称しています。当初は男山山頂付近に遷座していましたが、元禄年間徳川家康が家臣である鳥居元忠に命じて現在地に遷座しています。明治元年に旧社号である久麻久神社に復し、明治6年に郷社に列しています。現在の本殿は大永7年(1527)に再建されたもので三間社、入母屋(一重)、桧皮葺、桁行3間、梁間2間、3間向拝付、室町時代後期に建てられた大型神社本殿建築の遺構として大変貴重な存在で国指定重要文化財に指定されています。
久麻久神社の文化財
・ 久麻久神社本殿(附:軒札・厨子)−大永7年−国指定重要文化財
・ 牛頭天王像−平安時代前期−愛知県指定文化財
・ 陶製狛犬(瀬戸窯産)−室町時代中期−愛知県指定文化財
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