刈谷市: 刈谷城

  愛知県:歴史・観光・見所刈谷市・観光>刈谷城

刈谷城
刈谷城
[ 付近地図: 愛知県刈谷市 ]・[ 刈谷市:歴史・観光・見所 ]
刈谷城 刈谷城 刈谷城 刈谷城
刈谷城 刈谷城 刈谷城 刈谷城
刈谷城 刈谷城 刈谷城 刈谷城
概要・歴史・観光・見所
刈谷城概要: 刈谷城は天文2年(1533)、水野忠政が亀挟山に築いたのが始まりとされます。忠政は岡崎城の松平家と接近し娘である於大を松平広忠と結婚させ天文12年(1543)には竹千代(後の徳川家康)を授かりが、忠政の跡を継いだ信元は織田家に組した為、於大は離縁となり刈谷に戻されています。桶狭間の戦いで今川義元が討死すると松平元康(家康)は織田信長と同盟を結んだ為、信元も三河一向一揆や三方ヶ原の戦いで兵を出し織田家、松平家に協力していましたが天正3年(1575)、武田氏との内通が疑われ信長の命で大樹寺岡崎市)で殺害されました。刈谷城には織田家家臣佐久間信盛が入りますが天正8年(1580)に追放となり水野忠重(信元の弟)が復権します。慶長20年(1615)、当時の城主水野勝成が大和郡山城へ移封になると、弟である水野忠清が小幡藩(群馬県甘楽町)から3万石で入封。寛永9年(1632)、忠清が吉田藩(愛知県豊橋市)に移封になると松平忠房が入封。慶安2年(1649)に福知山藩(京都府福知山市)に移封になると伊勢長島藩(三重県桑名市)から松平定政が2万石で入封。慶安4年(1651)定政が改易になると三条藩(新潟県三条市)から稲垣重綱が2万3千石で入封。元禄15年(1702)、稲垣重富が大多喜藩(千葉県大多喜町)に移封になると大多喜藩から阿部正春が1万6千石で入封。宝永7年(1710)、阿部正鎮が佐貫藩(千葉県富津市)へ移封になると村上藩(新潟県村上市)から本多忠良が5万石で入封。正徳2年(1712)に忠良が古河藩(茨城県古河市)へ移封になると延岡藩(宮崎県宮崎市)から三浦明敏が2万3千石で入封。延享4年(1747)に三浦義理が西尾藩(愛知県西尾市)に移封になると西尾藩から土井利信が2万3千石で入封。土井家は9代に渡り刈谷藩の藩主を世襲し明治維新を迎えています。刈谷城は明治4(1871)に廃城となり多くの建物は破却されています。
住宅設計

 刈谷市観光・旅行見所ナビ:
刈谷城願行寺亀城小学校旧本館札の辻市原稲荷神社十念寺重原陣屋浄福寺西福寺椎の木屋敷跡福島領の碑密蔵院楞厳寺
野田八幡宮
 
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「愛知県歴史観光案内所」は「愛知県の歴史」、「郷土資料辞典−愛知県」、「日本の城下町−東海」、「城郭と城下町−東海」、「東海道二」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。