密蔵院 |
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[ 付近地図: 愛知県刈谷市 ]・[ 刈谷市:歴史・観光・見所 ] |
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密蔵院(刈谷市)概要: 天目山密蔵院の創建は不詳ですが当初は真言宗の寺院で泉田町にあったとされます。伝承によると弘仁13年(822)に1人の旅僧が当地を訪れ、喉の渇きから民家を訪ね1杯の水を戴きました。旅僧が話しを聞くと、この地は高台にあり、1杯の水を汲むのも谷を下らなければならないので大変難儀をする事を聞きました。旅僧はその話を聞くと、水の御礼と申し、錫杖を地面に強く立て、念仏を唱えると、不思議な事に先端から湧水が湧き上がってきました。民家の主はこれは名のある名僧であるに違いないと思い名前を聞き出すと、平安時代の高僧として知られる弘法大師空海と名乗りました。その話を聞いた村の人々は皆、空海の有難い説法を聞き、数日間当地で過すと、別れ際に空海は3躯の仏像を彫刻し、私の代わりにこの仏像を拝むと、あなた方をきっと守護してくれるでしょうと告げこの地を離れたそうです。その3躯の仏像は、大師との別れを惜しんだ「見返弘法」、去ってゆく大師を見送った「見送弘法」、大師との別れ際に涙を流した「流涕弘法」と呼ばれ、その内の「流涕弘法」が密蔵院に安置されました。これにより、「見返弘法」を安置した遍照院(知立市)と「見送弘法」を安置した、西福寺(刈谷市)と共に三河三弘法に数えられ密蔵院は三番札として信仰の対象となりました。正徳4年(1714)、木がん禅師が再興し臨済宗に改宗、永源寺(滋賀県東近江市)の末寺となります。安永3年(1774)、落雷が火災となり多くの堂宇、記録、寺宝などが焼失しましたが長寿寺2世住職が再建しました。山門は入母屋、桟瓦葺、一間一戸、四脚楼門。本堂は寄棟、桟瓦葺、平入、桁行6間。大師堂は宝形造、桟瓦葺、桁行4間、梁間4間。境内は霊場として整備され、様々な仏像や石像、地蔵などが建立されています。三河新四国八十八ヶ所三番札所。参河國准四国八十八ヶ所第六十六札所。宗派:臨済宗永源寺派。本尊:弥勒菩薩。
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