東観音寺概要: 東観音寺の創建は天平5年(733)、行基菩薩が霊夢により御告げを受け小松原の霊木から自ら馬頭観音像を彫り込み安置したのが始まりと伝えられています。聖武天皇の勅願寺になると寺運も隆盛し大きな影響力を持つようになります。当初の境内は小松原の海岸付近の伊勢街道沿いにあり真言宗の寺院でしたが、室町時代に臨済宗に改宗、宝永4年(1704)の大津波により境内が大破し正徳6年(1716)に現在地に移されました。歴代領主為政者から庇護され、文永8年(1271)には鎌倉幕府の御家人安達泰盛が金銅馬頭観音御正体を寄進、室間時代に領主となった戸田氏や今川氏からも庇護され寄進や保護の内容が東観音寺中世文書として残されています。江戸時代に入ると幕府の祈願所として庇護され寺領102石が安堵され多くの末寺を擁していました。現在の多宝塔は、案内板によると「 高さ12.15mの総素木造りで、大永2年(1522)年に戸田氏の重臣藤田左京亮により寄進されたと伝えられています。建築は唐様と和洋の折衷様式で、初層には多宝如来像が安置されています。」とあります。東観音寺多宝塔は室町時代に建てられた多宝塔建築の遺構として大変貴重なことから明治40年に国指定重要文化財に指定されています。
東観音寺の文化財
・ 多宝塔−大永2年−国指定重要文化財
・ 木造阿弥陀如来坐像−鎌倉時代初期−国指定重要文化財
・ 金銅馬頭観音御正体−文永8年−国指定重要文化財
・ 麻地着色悟鑑西堂画像−室町時代−豊橋市指定文化財
・ 麻地着色玉岫和尚画像−室町時代−豊橋市指定文化財
・ 紙本着色東観音寺古境内図−豊橋市指定文化財
・ 東観音寺の仮面−鎌倉〜南北朝時代−豊橋市指定文化財
・ 木造二天像−平安時代−豊橋市指定文化財
・ 東観音寺の鰐口−天文2年−豊橋市指定文化財
・ 紺紙金泥法華経普門品−鎌倉時代−豊橋市指定文化財
・ 銅鐸鈕−弥生時代−豊橋市指定文化財
・ 古版木−室町時代−豊橋市指定文化財
・ 東観音寺中世文書−室町時代−豊橋市指定文化財
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