黒田城 |
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黒田城概要: 黒田城の築城は明応年間(1492〜1500)、五藤源太左衛門光正が居館を設けたのが始まりとされます。その後、天文元年(1532)に岩倉織田家家臣山内盛豊が城代として黒田城に入城しています。天文14年(1545)、岩倉織田家と織田信長との間で対立が激化し、黒田城も信長の侵攻により落城し、山内一豊の兄である十郎が討死しています。山内氏は岩倉織田家の居城である岩倉城に退き、変わって黒田城には犬山城の城主である織田信清の弟織田広良が入り、永禄5年(1562)に広良が討死すると和田新助が入城します。天正2年(1574)、新助が長島の戦いで討死すると、弟である定教が城主となりますがその後没落し、天正10年(1582)、織田信雄の家臣沢井雄重が城主となります。天正18年(1590)織田信雄が改易になると黒田城には豊臣秀吉家臣一柳直盛が3万5千石で入封し、城も大改修され近代的に整備されます。慶長5年(1600)の関が原の戦いの際、直盛は東軍に組し岐阜城(岐阜県岐阜市)攻略に従軍した功で伊勢神戸5万石で転封します。代わって清洲藩松平忠吉の持城となり家臣の富田忠繁が城主となりましたが、後に廃城となっています。
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