清須市: 総見院

  愛知県:歴史・観光・見所清須市・観光>総見院

総見院
総見院
[ 付近地図: 愛知県清須市 ]・[ 清須市:歴史・見所・観光 ]
総見院 総見院 総見院 総見院
概要・歴史・観光・見所
総見院概要: 総見院の創建は天正11年(1583)、本能寺の変後に当地の領主となった織田信雄が父親である信長の菩提を弔う為、忠嶽和尚(妙心寺)を招いて開いたのが始まりと伝えられています。当初は総見寺と称し伊勢国桑名郡大島墟城地にありましたが天正13年(1585)に天正大地震により多くの堂宇が大破した為、信雄の居城である清洲城の城下町に移され再興しています。慶長14年(1609)、徳川家康の命で新たに名古屋城が築かれる事となり清洲城は廃城、清洲の社寺や町屋など殆どが名古屋城の城下町に移り、総見寺も慶長15年(1610)にそれに従っています。暫くは旧跡になっていましたが正保元年(1644)、総見寺3世永吃?山の隠居寺として尾張藩主徳川義直が再興して総見院としました。寺宝の「焼兜」は本能寺の変で織田信長が着用していたと伝えられるもので、本能寺の焼跡から探し出したものが信雄の手に渡り、信雄が秀吉に対立した事で慶長19年(1614)い那須烏山城(栃木県那須烏山市)に移されると「焼兜」は岐阜城(岐阜県岐阜市)の織田信秀に贈られ、信秀が関が原の戦いで西軍に組し高野山に流されると信長の遺臣小林氏が賜り、天明5年(1785)、織田信雄の5男高長の家系が立藩した柏原藩の家老から総見院に贈られました。本堂には信長、信雄、義直の位牌が安置され、境内には信長、義直の墓碑が建立されています。
住宅設計案内

 清須市観光・旅行見所ナビ:
高照寺土器野神明社正覚寺清洲城清涼寺総見院長谷院清洲山王宮日吉神社問屋資料館柴田家住宅外町一里塚道標
須ケ口一里塚跡
 
 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「愛知県歴史観光案内所」は「愛知県の歴史」、「郷土資料辞典−愛知県」、「日本の城下町−東海」、「城郭と城下町−東海」、「東海道二」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。