明川宿

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明川宿:略データ
・場 所・愛知県豊田市明川
・概 要・明川の地は三州街道(伊那街道)が中央を東西に通り、美濃国明智・岩村に通じる街道が分岐する交通の要衝で、江戸時代には宿場町が形成されました。

一方、古代から人が生活し易かった環境だったようで、明川山ノ神遺跡や柳坪遺跡が点在しています。

元和2年に成瀬正成が尾張藩の附家老として犬山領の領主に抜擢されると、二男の成瀬伊豆守之成が1万4千石が分知され栗原藩(下総国葛飾郡栗原郷)を立藩、当地はその飛地となっています。

之成はその後、加増され1万6千石になりましたが、寛永11年に3代将軍徳川家光の上洛に随行中に病により倒れ、回復する事無く死去しています。

家督は次男の之虎が引き継いだものの、寛永15年に僅か5歳で死去し、嗣子が居なかった事から栗原成瀬家は無嗣断絶で改易となった為、明川の地は天領に組み込まれ、宝永2年以降は明治維新まで吉田藩が支配しています。

明川宿は武節宿と足助宿の中間に位置していた事から、江戸時代中期以降に中馬輸送が盛んになると、明川宿も多くの人や荷物が行き交い大変賑わうようになりました。

さらに、一般庶民にも行楽志向が高まり、伊勢参りや善光寺詣で、秋葉詣で等が盛んになり多くの参拝客が明川宿を利用するようになっています。

慶応3年には伊勢湾を一望出来る景勝地に信州方面からの参拝者の便宜を図る為に伊勢神宮遥拝所が設けられ、峠の名も伊勢守峠に改称、現在でも毎年開催される10月17日の伊勢神宮の神嘗祭の際には当遥拝所でも祭典が行われています。

又、農村歌舞伎が盛んな地域でもあり、天明2年に開創した熊野神社の境内には嘉永5年に建立された足助地方最大規模の農村舞台「明川座」が残されており皇子を偲ぶ事が出来ます。

明川宿:付近地図
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