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美濃路(愛知県・岐阜県)概要: 美濃路は東海道の宮宿(愛知県名古屋市)と中山道の垂井宿(岐阜県垂井町)とを結ぶ脇往還で、慶長5年(1600)の関が原の戦いで勝利した徳川家康が江戸に凱旋した際利用した為「吉例街道」とも呼ばれました。江戸時代当初は将軍の上洛時に利用され、正徳4年(1714)以降は朝鮮通信使が10度利用し、お茶壺道中も元禄以降は江戸からの帰路は美濃路を毎年利用しています。琉球王使も11度美濃路を利用し大垣城下で宿泊し墨俣宿や起宿で休憩しています。美濃路は東海道の難所である「鈴鹿峠」と「七里の渡し」を避ける事が出来た為、多くの旅人が通行し江戸時代中期の享保14年(1729)には像の搬入にも利用されています。美濃路の行程は全長14里24町余(約58km)で7つの宿場と木曽川、境川、長良川、揖斐川の4箇所に渡し場が設置されました。
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美濃路のルート
垂井宿−大垣城下−墨俣宿−起宿−萩原宿−稲葉宿−清洲宿−名古屋城下−宮宿
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