美濃路 :萩原宿(一宮市)

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萩原宿(一宮市)・歴史・観光・見所
萩原宿概要: 慶長5年(1600)、徳川家康により開削された美濃路の宿場町で、江戸時代後期の天保14年(1843)に編纂された記録によると本陣1軒(森権左衛門家)、脇本陣1軒(森半兵衛家:庄屋を兼ねる)、問屋場2軒(鵜飼家・木全家:萩原宿では上下2つの問屋場があり交代で人馬の継ぎ立てを司りました。)、旅籠17軒(中6軒・小11軒)、家屋236軒、人口1002人でした。美濃路7宿の中間にあたりますが、規模としては最小、尾張藩領に属していました。本陣は代々森権左衛門家が世襲し特に日光川、西の川周辺の荒地を整備するなど新田開発に尽力し宿場内で大きな影響力を持ちました。宿場は上町、中町、下町の3町で構成され上町にある問屋を上問屋、下町にある問屋を下問屋と呼び正瑞寺の前に高札場が設けられました。萩原の都市的発展は戦国時代、豊臣秀吉の姉婿である長尾(三好)吉房が萩原領10万石を与えられ、その城下町として発展しました。吉房の実子である秀次が秀吉の養子となると影響力を持ち犬山城(愛知県犬山市)の城主にまでなりましたが文禄4年(1595)、秀次が謀反の為自害すると連座し改易となり萩原城も廃城になったと思われます。交通の要衝だった事もあり江戸時代に入ると城跡に徳川義直の御茶屋御殿が築かれ重要視されました。
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