本光寺概要: 本光寺の創建は大永3年(1523)、深溝松平家の始祖とされる松平忠定が奇声英音大和尚を招いて開いたのが始まりとされます。忠定は松平3代信光の孫のあたる人物で深溝城に配された事から深溝松平家と呼ばれるようになり、三河十四松平家の1家として松平宗家に仕えました。本光寺は歴代深溝松平家の菩提寺と定められた為、吉田城、刈谷城、福知山城(京都府福知山市)、島原城(長崎県島原市)、宇都宮城(栃木県宇都宮市)と領地が移っても当主は本光寺に葬られました。西廟所には初代忠定、2代好景、3代伊忠、4代家忠の廟所があり、東廟所には島原藩以降の当主19代までの廟所があります。特に東廟所にある肖影堂は彦根城(滋賀県彦根市)や駿府城(静岡県静岡市)、名古屋城などの普請に尽力した5代忠利の廟所で、隣には6代目で福知山藩主忠房が寛文12年(1672)に建立した「願掛け亀」があります。
本光寺の文化財
・ 家忠・忠利・忠一像−正保4年−幸田町指定文化財
・ 京洛諸国名所図−寛文3年−幸田町指定文化財
・ 梵鐘−寛永6年−幸田町指定文化財
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