愛知県津島市・町並み

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愛知県津島市
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【津島湊】−近世以前、当地は木曽川、長良川、揖斐川の河口に位置し、それぞれの舟運の湊が合わさる当地域最大の川湊町でした。濃尾平野で採れた米をはじめ特産物は津島湊に一端集められ、ここで海運船に積み替えられ、伊勢湾沿岸の各地に配送された事で、湊は大きく繁栄し多くの豪商を輩出しています。特に戦国時代は織田家(信長系)が直轄地として治めて莫大な利益が生み出され、本来、織田家の分家筋だった勝幡城主の織田信秀が経済力を背景に台頭し、跡を継いだ信長の軍事行動を支えました。江戸時代に入ると、尾張藩は水害防止の観点から河川工事を行うと、水害は減ったものの、水深が極端に低くなり大型船の出入が出来なくなり、さらに川の流れが変わるなどの天災も重なり次第に湊としての機能は衰微しました。
【津島神社】津島神社愛知県津島市)は弘仁9年(810)に当地に勧請されたという古社、嵯峨天皇からは日本総社の称号を賜るなど当地域を代表する神社でした。戦国時代に入ると織田家の氏神として崇敬庇護し、その後も豊臣秀吉など歴代領主や為政者から信仰の対象となり社運が隆盛しました。江戸時代に入っても幕府や尾張徳川家が庇護し、現在では全国に広がった津島信仰の本社として、信仰の広がりを見せ伊勢神宮と津島神社の両方を参拝しなければ「片参り」として多くの参拝者が訪れました。特に例祭である「尾張津島天王祭」は壮麗を極め、戦国時代には信長も天王橋から例祭を見物したとも云われ、「尾張津島天王祭の車楽舟行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。
【佐屋街道】−佐屋街道は東海道の脇街道で、東海道は宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)まで海上を船で7里渡る事から天候や気候に大きく作用され、船に慣れていない旅人は船酔いを起す人も数多く、安全性や快適性の面から見ると不人気な経路でした。一方、佐屋街道は遠回りにはなるものの、船での利用は3里と、東海道を利用するよりも半分以下だった事から、体の弱い老人や女性、子供達に好まれました。津島は佐屋街道の宿場町で、渡しの拠点となった為、多くの人が利用し町も賑いました。
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