高田寺概要: 高田寺の創建は伝承によると、養老4年(720)に行基菩薩により開かれたのが始まりと伝えられています。大同年間(806〜10)には最澄が訪れ現在の寺号である高田寺に改称しています。最盛期には寺運が隆盛し多くの末寺を擁し広大な寺領を有していたとされますがその後荒廃した為、詳細が不詳となっています。寛永年間(1624〜44)には明正天皇の勅願寺となり眼病平癒の祈願が行われ、見事念願成就すると塔頭の実相坊円忠大徳が薬函を賜っています。古くから神仏習合し境内に隣接して白山社があり本殿は室町時代後期に建てられたもので愛知県指定文化財に指定されています。又、円空上人も高田寺で修行したとされ4体の円空仏が残されています。現在の本堂(薬師堂)は鎌倉時代末期から室町時代初期に建てられたと推定される建物で(享保13年に改修)入母屋、桧皮葺、桁行3間、梁間3間、内部には入母屋、こけら葺、桁行1間の厨子が安置されています。高田寺本堂は当時の寺院本堂建築の遺構で尾張平野一の美建築として大変貴重な存在で昭和25年に国指定重要文化財に指定されています。寺宝の木造薬師如来坐像は鎌倉時代に製作された推定されるもので本堂と同様に国指定重要文化財に指定されています。東海四十九薬師霊場。
高田寺の文化財
・ 高田寺本堂(附厨子・護摩札)−鎌倉〜室町−国指定重要文化財
・ 木造薬師如来坐像−鎌倉時代−国指定重要文化財
・ 木造大黒天立像−嘉吉4年−愛知県指定文化財
・ 十二神将像(12体)−北名古屋市指定文化財
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