豊川市: 牛久保城

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牛久保城
牛久保城
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牛久保城 牛久保城 牛久保城 牛久保城
概要・歴史・観光・見所
牛久保城概要:  牛久保城は享禄2年(1529)、牧野成勝によって築かれたのが始まりとされます。当初、成勝は一色氏が築いた一色城に配されていましたが本家筋である吉田城の城主牧野信成の命でより堅固な牛久保城を築くことになりました。牛久保城は背後を崖地とする天然の要害で前面である北側に2重の堀を設け、武家屋敷の廻りには複雑な町割りの城下町が計画されました。信成は松平元康(後の徳川家康)に敵対した為、滅ぼされたものの、牛久保系の牧野氏は早くから松平家に属したとみられ、功治2年(1556)、成勝の跡を継いだ貞成が今川義元により追放されますが永禄9年(1566)、牧野成定が徳川家康の力を借り牛久保城主に復権しています。成定の跡を継いだ康成も家康に忠誠を尽くし、天正18年(1590)家康の関東移封に伴い大胡城(群馬県前橋市)2万石で移封となり、代わって池田輝政の家臣荒尾成久が牛久保城に入ります。輝政は関が原の戦いで東軍に属し、岐阜城(岐阜県岐阜市)攻略の功により姫路城(兵庫県姫路市)に移されると、牛久保周辺は天領となり、城の一部が代官所として利用されますが元禄13年(1700)、その代官所も廃されました。現在、宅地化が進み目立った遺構は見る事は出来ません。
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