普門寺概要: 普門寺の創建は神亀4年(727)、行基菩薩が船形山に登った際、この地を、霊地と感じさらに観音様の御告げにより自ら聖観音立像を彫り込み安置したのが始まりと伝えられています。平安時代に入ると真言宗の寺院といして寺運が隆盛しますが嘉応年間(1169〜70)天台宗との宗門争いにより多くの堂宇が焼失し一字衰退します。平安時代末期に学頭になった阿闍梨化積上人は源頼朝と関係が深い人物で源氏再興と平家追討の祈願を行い見事念願成就したことから、頼朝は梶原景季に命じて境内を整備し広大な寺領を寄進、三河七御堂(赤岩寺、普門寺、財賀寺、鳳来寺、全福寺(跡)、長泉寺、金蓮寺)に数えられました。戦国時代に入ると船形山が三河と遠江の国境に接する軍事的拠点として重要視され天文2年(1533)今川氏と戸田氏による争奪戦の兵火により多くの堂宇、記録、寺宝などが焼失しています。三河が今川領になると当時の当主今川義元が庇護し堂宇の再建が行われました。江戸時代には幕府の庇護で寺運が隆盛し多くの末寺を擁しました。
普門寺の文化財
・ 木造阿弥陀如来像−平安時代−国指定重要文化財
・ 木造釈迦如来座像−平安時代−国指定重要文化財
・ 木造四天王立像(4躯)−平安時代−国指定重要文化財
・ 銅経筒(附銅鏡)−平安時代−国指定重要文化財
・ 木造不動明王・二童子各立像−平安末〜鎌倉初−愛知県指定文化財
・ 大杉−推定樹齢400年−豊橋市指定天然記念物
・ 木造阿弥陀如来座像−鎌倉時代−豊橋市指定文化財
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