犬山城:城下町・町並み

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犬山城:城下町
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【犬山城下】犬山城は国宝の天守閣として有名で日本名城100選にも選定されています。犬山城が築かれたのは文明元年(1469)で当初は砦程度だったものが、戦略的拠点として重要視され次第に拡張整備され、天正18年(1590)に石川貞清が配されると近代的な城郭へと大改修されます。江戸時代に入ると尾張藩領となり、尾張藩主松平忠吉の附家老小笠原吉次が入り、続いて慶長12年(1607)には尾張藩主徳川義直の附家老平岩親吉(徳川十六神将の一人)が12万3千石で犬山城に入ります。平岩家が無継断絶すると元和3年(1617)に新たに附家老となった成瀬正成に犬山城3万5千石が与えられ、以後、明治維新まで歴代成瀬家の当主が城主を歴任しました。成瀬正成は幼少の頃から徳川家康に仕え、徳川家の主要な合戦に従軍し功を上げ、朝鮮出兵の際には豊臣秀吉から5万石で家臣への誘い受けながら「私は二君に仕える事は出来ません。もし、どうしもとあらば、切腹いたします。」と固辞したとも云われています。犬山城は梯郭式の平山城で、本丸の他、樅の丸、杉の丸、桐の丸、松の丸などが配され、背後の木曽川は天然の外堀に見立て全面の城下町を囲うように「総構」の外堀が設けられました。一般的な城郭では城の近い方に武家屋敷を設けますが、犬山城では外堀に沿って武家屋敷が配され、城下町の中央を縦断する本町通り沿いに町人町が町割されました。現在でも本町・中本町・練屋町と新町・魚屋町・東余坂・加治屋町・練屋町辺りは当時の町割に近い形状が残され、随所に歴史ある町屋建築が点在しています(宮田家住宅・井上家住宅・山田家住宅・伊藤家住宅・瀧野家住宅・遠藤家住宅・高木家住宅・旧磯部家住宅・真野家住宅・小島家住宅・三井家住宅・川村家住宅・梅田家住宅・奥村家住宅・堀部家住宅、以上は国登録有形文化財)。又、犬山城から見て北東にあたる善光寺山周辺は城の鬼門鎮護として有力寺院が集められ城主成瀬家の菩提寺臨渓院(正成、正虎、正親、正幸の4代の墓碑)や日峰宗舜禅師が創建した臨済宗妙心寺派の古刹瑞泉寺(鐘楼は三猿の彫刻は左甚五郎の作、山門は犬山城の城門を移築)などが境内を構えています。
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