曼荼羅寺概要: 曼荼羅寺の創建は正中元年(1324)、後醍醐天皇の勅命により天皇の祈願所として乗運上人が開いたのが始まりとされます。当初は円福寺と称していましたが寛正3年(1462)、空光上人が霊夢で仏の化身と思われる老尼から浄土曼荼羅を授かった事から現在の寺号である曼荼羅寺に改称し、天文10年(1541)には後奈良天皇の勅願寺となっています。戦国時代には後に豊臣秀吉の家臣となる蜂須賀小六が織田家に追われ妻方の安井家に世話になっていた時期に曼荼羅寺を深く帰依しした為、寛永9年(1632)、小六の跡を継いだ家政は幼少である徳島藩主を忠英を補佐していましたが母方の郷里にある曼荼羅寺の帰依を忘れず正堂を再建しています。江戸時代に入ると尾張藩から庇護され寺領231石が安堵されています。現在の正堂は寛永9年横須賀家政が建立したもので、入母屋、桧皮葺、桁行5間、梁間5間、1間向拝付、江戸時代初期に建てられた寺院本堂建築の遺構として大変貴重な存在で昭和32年に国指定重要文化財に指定されています。書院は文禄元年(1592)に建てられたと伝えられるもので寄棟、銅板葺、桁行12.4m、梁間11.4m、慶長5年(1600)の関が原の戦いの際には池田輝政など東軍諸将が軍議を開いた場所とされます。曼荼羅寺書院は室町時代末期に建てられた書院建築の遺構として大変貴重なことから昭和37年に国指定重要文化財に指定されています。
曼荼羅寺の文化財
・ 曼荼羅寺正堂−寛永9年−国指定重要文化財
・ 曼陀羅寺書院−文禄元年(伝)−国指定重要文化財
・ 絹本著色浄土五祖像−室町時代初期−国指定重要文化財
・ 銅鐘(朝鮮鐘)−1234年−国指定重要文化財
・ 絹本著色浄土変相当麻曼荼羅図−鎌倉末期−愛知県指定文化財
・ 曼陀羅寺地蔵堂−寛文8年(伝)−愛知県指定文化財
・ 江南市指定文化財多数
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