足助町: 飯森山城

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飯森山城
飯森山城
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概要・歴史・観光・見所
飯森山城概要: 飯森山城飯森山城は治承年間(1177〜80)、足助重長によって築かれたのが始まりとされます。足助氏は飯森山城と中心に足助七城と呼ばれる足助城、臼木ヶ峯城、大観音城、城山城、 成瀬城、黍生城を周辺に築き大きな影響力を持つようになります。特に足助重範は後醍醐天皇に従い笠置山(京都)篭城軍3千人の総大将として名を馳せました。足助氏が衰退すると鈴木氏が台頭し飯森山城と足助城を本城として整備されます。大永5年(1525)、松平清康の侵攻により降伏しましたが、その後独立、しかし永禄7年(1564)に松平家康により攻略され以後、松平(徳川)家に従属するようになります。元亀2年(1571)、武田信玄の三河侵攻により飯森山城は落城し、当時の城主重直は家康の元に逃げ延びています。長篠の戦で武田勝頼が織田、徳川連合軍に敗退すると武田家は急速に衰退し、天正元年(1573)、徳川信康が足助城を攻略し再び鈴木氏が城主として復権します。天文18年(1590)、家康が関東に移封になると鈴木氏も随行し足助城は廃城となります。城は飯盛山山頂付近に築かれた中世の山城で、頂部には本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸が設けられ主要部には土塁、矢場、空堀が設置、鈴木氏の菩提寺である香積寺付近には城主の居館がありました。飯森山城跡は愛知県指定史跡に指定されています。
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